スキット先生との談話

昨日Tさんがパヤタイ2病院を退院して、今日は、カフェも定休日で、病院でのサポート業務もない日でしたが、9月上旬にヤンヒー病院で前腕部皮弁陰茎形成手術を受けたK君(既に帰国しています)から、ここ最近、経過に不安な点があると相談を受けて、その不安な部位の数枚画像を頂き、朝からヤンヒー病院へ行き、スキット先生との代理カウンセリングを受けて来ました。

幸い、スキット先生からは、大事には至らないだろうという見解を頂き、今K君が抱える問題の今後の経過の見方等アドバイスを頂きました。

K君についての話を終えた後は、僕へのアドバイスまで頂きました。
そのアドバイスとは、僕の術後の経過についてではなく、病院のエージェントとしての、スキット先生の見解でした。
【複数の病院のエージェントを務めることは、それぞれの病院の色々な面が見えて、より確かなアドバイスを、患者にすることができる。
形成手術においても、腕を使っての陰茎形成、太腿を使っての陰茎形成、腹部や広背部からの陰茎形成、そしてミニペニス形成と多数ある。
ただ一つ、どこの病院で、何の手術を受ける場合でも言えることだが、エージェントという立場の人間が、これから手術を検討する/受ける人間に対して、押し付けるようなことはいけない。
手術を受けるのは、あくまでも患者であるから、どこの病院で手術を受けるか、又は、本当に手術を受けたいのか、複数の手術方法がある中、選択したその手段で、後悔はしないか、患者自身がしっかり選択できる環境が大切だ。】
と。
こういうアドバイスを、スキット先生から頂いた理由は、ここ1、2年の間に、一度形成した陰茎を作り替えたいとか、ミニペニスから陰茎形成手術を受けたいとか、こう言った相談が複数件あり、スキット先生に相談に乗って頂いており、その度に懇々と、手術を繰り返すリスクやデメリット、危険性等々について、教唆を受けてきていました。
要するに、FTMの手術においての最終段階の形成手術まで受けても、結果的に、満足できていない患者が事実いることを、懸念されてのアドバイス。
はっきり言って、自己満足のための手術ですから、作り替えたいその気持ちを否定することは、誰にもできないかもしれません。
納得のいくまでやればいいのかもしれません。
ただ、あくまでも資本は、限りある繊細な生身の身体だということを、絶対に忘れないで下さい。

タイでの性別適合手術は、FTM当事者、MTF当事者にとっては、もう当然かのように、多くの方々が手術のために渡航されています。
ただここで今一度、しっかり見直して頂きたいと思うことは、自身が何故こんな手術を受けたいのかは勿論自問自答を欠かさないで欲しいですが、その他、病院の選択の仕方、手術方法の選択の仕方も、しっかり自身が納得了承できる、あくまでも自分自身のための手術を、もっと深く知って頂きたい、こう切に願います。

余談ですが。。。
スキット先生との会話が弾んだこの機会に、恐る恐る、以前からお願いしたかったことを、伝えてみました。
それは、可能であれば、僕の術後の画像を頂けないかと。
当時は、今のようにスマートフォンではなく、普通の携帯電話で、自身で画像を取り保管できる状態ではなかったので…
こんな僕の依頼を、快く引き受けて下さり、その場でLINEで、画像を送って下さいました。
10年ぶりに見る、10年前に形成されてまだ間もない自分の陰茎。
何とも言えない感動がありました。

そしてこの機会に。。。
スキット先生には、頻繁に会いますが、敢えて今日伝えたいことを、伝えました。
【手術も無事に終えて、術後も問題なく、また、この手術を終えてこの10年7ヶ月の間、何一つ問題なく過ごせています。
スキット先生、本当にありがとうございました。】
と。
スキット先生は、
【この術後、そういう良好な状態を保てる、健康を保てるのは、篤司自身が、日々心がけて生活しているからだ。
これからも、大事にしなさい。】
と、こう言って下さいました。

嬉しかったです、本当に。。。

しかし、また何でそんな改まってお礼なんて、、、と、こう思われるかもしれません。
実はブログには書いていませんが、先月1日に、大好きなお婆ちゃんが天国へ旅立った後、僕はもう一人、かけがえのない、大切な大切な恩人を亡くしました。
お父さんの弟、即ち叔父です。
話せば長くなりますが、僕のようなこの生き方を、親よりも先に受け止めてくれたのは、この叔父でした。
今から20年前、性同一性障害という言葉が世に出始めた頃です。
娘が息子になる!?と、混乱する両親に、
【アツコちゃんみたいな同じような人は、他にもいるんだよ、兄貴、姉さん。
アツコちゃんは、決して変なんじゃないんだ!】
と、これに関連する新聞の記事がある度に、それを切り抜いては、毎度毎度、東京から青森まで郵送してくれてたのです。
今の僕があるのは、叔父のおかげなんです。
年月は、とてもとてもかかりましたが、今両親と、何の隔たりもなく、会えて、団欒して笑い合えるようになったのも、この叔父のおかげなんです。

いつかは叔父を訪ねて、ちゃんとお礼を言いたい、こう思って過ごしてきましたが、15年も前になるでしょうか…原因不明の高熱で倒れ、その後3日間意識が戻らず、意識が戻った後は、半身不随と言語障害を患ってしまい、《こんな情けない姿は、姪っ子や甥っ子には見せたくない。回復するから、それから会おう》と、こう叔父が言っていると両親から聞き、会いに行かないまま時は流れ、去年癌を患い入院しましたが、転移が酷く、余命宣告を受けて、3ヶ月前から、自宅看護となりました。

亡くなる2週間ほど前に、ガタッと体調不良を起こし、再び余命宣告を受けて、急遽兄であるお父さんや、妹が、叔父を見舞いました。
余命宣告を受けるような状態にまで陥っても、訪れたお父さんや妹と、笑いながら話す場面もあったようで、余命宣告通りになる様子はないと状況を聞いた矢先でした、最愛の奥さんに看取られて、亡くなったという連絡を妹から受けたのは。。。

前置きが長くなりましたが、この短期間の間に、大好きなお婆ちゃんと、恩人である叔父二人を亡くして、痛感したことがありました。
自分の思いは、特に感謝の気持ちは、伝える時を選ぶものではない、伝えたい時に、伝えるべき時に、しっかり伝えなければならないと。

正直、こう人と違う生き方を選択すると、誰よりもまず、身内を敬遠しがちにもなるかもしれません。
僕がそうでしたから。。。
だからこそ言えることは、無駄に意地を張り、大切な身内を遠ざけすぎないでほしい。
会える時には、会いたいと思った時には、是非会えるうちに会って下さい。
そして、伝えたい感謝があるのなら、時を選ばず、是非伝えて下さい。
自分の身においても言えることです。
いつ自分が死ぬのか、どこで?何で?なんて誰も知り得ることはできません。
だから、お互いが、かけがいのない命の灯火が消える前に、会うこと、伝えることが、とても大切だと、二人の死から学びました。

大好きな、大切な、こんな人を亡くすダメージ、喪失感、さすがに耐えられない時もありました。
やらなければならないことが手に付かず、このやるせなさが薄れるまで、時間がほしいこともありました。

でもやっと、そんな気持ちに終止符を打ててきたように感じる、今日この頃です。

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