寝ずの番

大好きな大好きなお婆ちゃんの訃報を受けて、急遽2日の深夜便で帰国。

タイの大都市バンコクから、田舎の青森県までの道のりは、飛行機での移動に続いて、その後4回列車を乗り継いで、やっと自宅に辿り着きました。
時間にすると、離陸してから、15時間という時間を費やした大移動。

しかしこの移動中、本当に不思議でならないことがありました。
バンコクから成田までの機内は、4列シートの通路側だったけど、隣に誰も座りませんでした。
まるでお婆ちゃんが、ゆっくり座りなさいと言ってくれてるようにさえ思えた、そんな空での時間。
成田空港から東京駅までの、成田エクスプレスの席もそう…2列シートの窓側だったけど、隣の通路側の席には誰も座りませんでした。
極めつけは、東京駅から八戸駅までの新幹線でも、3列シート窓側に座る僕の隣には、誰も座りませんでした。
まるで、大きなスーツケースを携帯している僕の代わりにお婆ちゃんが、他の乗客に、《すいません。ウチの孫が、大きい鞄持ってるから、向こうに座って下さい。》とでも、言ってるかのように…

アッと言う間に時間は流れ、僕は、もう数時間後には、2日間の帰省を終えて家を出て、バンコクへ戻ります。

今日は、大好きなお婆ちゃんの納棺が行われました。
お婆ちゃんは、とても気に入っていた指輪を、外すことなく常に、左の薬指にずっと付けていました。
亡くなった後も、外されることなく、指輪をはめていました。
しかし棺には、燃えない物や、溶ける素材でお骨に付着してしまうような物は入れられないということで、指輪を外すことに。
ところが、長年外していないため、指関節部分が指輪より太く、指輪はなかなか抜けそうにありません。
そこで、葬儀屋の担当の方が、石鹸水を用意してくれ、僕がその指輪を外すことを担いました。

石鹸水を手に取り、お婆ちゃんの指や手をゆっくりマッサージしながら。
結果、時間はかかったものの、お婆ちゃんの指を傷つけることもなく、無事に外せたのですが、本来は、指輪を外すための目的のマッサージですが、お婆ちゃんの手を握っているうちに、また色々なことを思い出して、お父さんお母さん、妹に甥っ子、そして、納棺の儀に訪れて下さった方々の前なのに、大泣きしてしまいました。

ここが痛い、あそこが痛いと言えば、この手を優しく、僕の身体に当てがい、いつまでもいつまでも摩ってくれた、お婆ちゃんのこの手。

《いい子だ、いい子だ》と、頭を撫でてくれたお婆ちゃんのこの手。

《泣がなくてもいい》と、僕の涙を拭ってくれたこの手。
こんなことがいっぱいいっぱい思い出されて、涙が止めどなく溢れてきました。

お婆ちゃんは、大正9年生まれでした。
子供の頃は、家庭は貧しく、歯医者の家に奉公に行っており、それで稼いだ賃金は全て、給料日に親がもらっていき、自分の手元には一銭も残らない、こういう子供の時代だったそうです。
だから、自分で稼いで、自由に使えるお金が欲しい、お婆ちゃんはこう願ったそうです。
そしてお婆ちゃんは、お爺ちゃんと事業を始めて、その自分の願いを見事に叶えました。

この事業からは、もう何十年も前に身を引きましたが、お婆ちゃんは、成せば成る、成さねば成らぬということを、僕に教えてくれた一人でもありました。

納棺の儀を終えて、一家で晩御飯を食べながら、お婆ちゃんの思いで話に花を咲かせました。

その後、各々湯に浸かったり、テレビを見たり。

寛いでいる僕のところへ、お母さんが一人できました。
積み重ねた座布団の上に腰を下ろし、静かに話し始めるお母さん。
《もっともっと、優しくしてあげれば良かった…
お婆ちゃんに、なぁんにもしてあげれなかった》
こう言って、滅多に泣かないお母さんが、僕の前で泣き崩れました。
しかし僕からすると、お母さんとお父さんが、誰に託すこともなく、お婆ちゃんが一番落ち着くこの家という場所で、親身に献身的にお世話をしてくれたからこそ、98歳という長寿を、お婆ちゃんは全うできたと思っています。
そしてだからこそ、お婆ちゃんの顔は、寝息が聞こえてきそうな、本当は眠っているだけなんじゃないのかと思うくらい、とてもとても穏やかな顔をしているとも思っています。
こういう風に僕は思うから、どうかお母さん、そう自分を責めないで、介護とか人のお世話をするっていうのは、ただただ優しいだけじゃなくて、厳しさも絶対必要なことと思うよ、こう伝えました。
お母さんは、静かに頷いて、ありがとうと言ってくれました。
どんな関係においても、きっとどれだけ尽くしても、誠意を持って接しても、《よくお世話できたと思う、自分はよくやった》などと、従事した側の人間が、自己を評価できるものではないと、お母さんの涙を見て、つくづく改めてそう思いました。

僕は孫として、大好きなお婆ちゃんが亡くなったことは、とても悲しい現実です。
しかし、悲しみ、お婆ちゃんを弔う気持ち同様に、僕は、お母さんの献身的なお婆ちゃんへの介護に、本当にお疲れ様でした、お母さんありがとうという気持ちもあります。

お母さんは専業主婦でした。
しかしお父さんが定年退職後、亡きお爺ちゃんのお世話、そしてお婆ちゃんのお世話に身を捧げてきて、お父さんお母さん二人きりで、旅行に行くこともなく、今に至ります。
それでも、一回も、愚痴や不満をこぼしたことがない両親。
こんな両親に、僕は、頭が上がりません。

そして妹。
妹はお婆ちゃんに、ひ孫を見せ抱かせ、ひ孫との途轍もなく幸せなひとときを、与えてくれました。
孫までは拝めても、ひ孫まで拝める人はなかなかいない中、お婆ちゃんに、それを与えてくれました。
だからお婆ちゃんは、ひ孫がとても可愛くて可愛くて、僕や妹の名前は、認知症の影響もあり、もう呼ぶ事はありませんでしたが、ひ孫の名前は、最後まで忘れなかったようです。

そして僕は、、、
何一つ、お婆ちゃん孝行ができませんでした。
だからという訳ではありませんが、昨夜と今晩、寝ずの番を担っております。
蝋燭の火や線香を、夜も絶やさないように見張る番。
あの世への道を標すこれらの火を絶やさないように見張ることが、今まで何一つ孝行できなかった僕が、最期にお婆ちゃんにしてあげれることと思い、寝ずの番2日目…

火葬の儀、通夜、葬式等には参列できない事は心残りですが、この務めを全うして、バンコクに戻ります。

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